十六夜の厭世的雑録

人生をそんな深刻に考えるな・・・永久に続くものじゃないんだから。

無聊なる秋の日に

もうすぐ9月が終ろうとしている。
めっきり涼しくなり、明け方など肌寒いくらいだ。


日没が早くなり、そのぶん夜が長くなっていく。
次第に秋が深まり、やがて季節は冬になる。


人間の一生を四季になぞらえる人は多い。
ポール・トゥルニエは「人生の四季」の中でこんなことを書いている。


「ほんとうに、何が人生の意味なのでしょうか? この問いは、一日で解けるようなものではありません。
この問いは、体力や活動力が減退していくにしたがって、ますます激しく迫って来ます。それは、だんだんと老令に近づいている人の心をたえず占める問いとなることでしょう。老年とは価値の再検討の時期であり、つかの間の価値から永続的な価値への、困難ではありますが前進的な移行期なのです。」


そして、このように続く。


「年令を重ねるにしたがって、時間というものはますます、消耗されていく資本のように見えて来ます。
そして時間の経過は、カレルが説明しているとおり、ある生理的なメカニズムに従って速度を増していきます。
年をとればとるほど、自分たちの目の前に横たわっている時間が短く見えるようになります。
それがたとえまだあと二十年であるとしても。
二十年といえば子供には途方もなく長く感じられる時間なのですが。
そして時間をこのように短く感じるようになる時が、まさに、力のおとろえはじめる時点なのであり、私たちが以前は簡単にやれた事柄をだんだんとあきらめなければならなくなる時なのです。


若い頃は何気なく読み飛ばしていた言葉が、今は重くのしかかってくる。


最近、砂時計の砂がいやに速く落ちるようになった。
昔は、砂の落ちる速度など気にならなかったのに。


今は、自分の持ち時間がどんどん少なくなっていくのを感じる。
時折、激しい焦燥感に襲われることがある。


輪廻転生なんてあるのだろうか。
それとも、この世の生は永遠の前の一瞬に過ぎないのだろうか。


庭から、咲き始めた金木犀の香りが漂ってくる。
ひと時の閑かな秋の香りだ。