十六夜の厭世的雑録

人生をそんな深刻に考えるな・・・永久に続くものじゃないんだから。

やさしさ

「私は優という字を考えます。
これは優(すぐ)れるという字で、優良可なんていうし、優勝なんていうけど、でも、もう一つ読み方があるでしょう?優(やさ)しいとも読みます。
そして、この字をよく見ると、人偏に憂うると書いているでしょう。
人を憂える、ひとの淋しさ、侘しさ、つらさに敏感な事、これが優しさであり、また人間として一番優れている事じゃないかしら。」


これは、太宰治が昭和21年4月に河盛好蔵に出した書簡の一部である。


私は、自分に問うてみる。
ひとの事を、心の底から憂いたことがあるか?


・・・否であった。
ひとの事を、心配したことはある。
しかし、それは責任のない浅い憂いであった。


本当のやさしさとは、最後までその人の責任を負うことなのだろう。



残念ながら、今の日本はやさしさに欠ける国になってしまった。
子どもに、他人を信用するなと教えなければならないのは悲しい。


納豆やオクラのようなネバネバした関係より、サラダのようなサッパリした関係を求めるようになった結果、人間関係がますます希薄になった。


でも、その気持ちはよく解る。
やはり、他人には干渉されたくない。
とくに、国家には個人の生き方まで干渉されたくない。


しかし、ひとは一人では生きられない。
このジレンマに、いつも悩むのだ。
やっかいなことに、人間関係はちょっとしたことで傷つき、気まずくなるものだ。


バートランド・ラッセルは、こんなことを言っている。


「人間は蟻や蜂のように年中群居しては生きられない。
さりとて、虎や獅子のように年中ひとりぽっちでも生きられない。
人間は半分社会的で、半分孤立的な存在なのだ。」


ここに、現代を生きるヒントがあるような気がした。


フウセンカズラ