十六夜の厭世的雑録

人生をそんな深刻に考えるな・・・永久に続くものじゃないんだから。

一枚の栞から

昔買った本を読んでいたら、ページの間に八重洲ブックセンターの栞が挿んであった。

大手町で仕事の打ち合わせがあり、帰りに八重洲ブックセンターに寄ったんだな。


あの頃は忙しかったけれど、充実していた。
まだ、自分は必要とされている感じがあった。


仕事を離れれば全てのものから解放され、悠々自適の生活が送れると思っていた。
しかし、今はもうどこからも必要とされている感じがしない。


生への執着が薄れてしまった今、生きがいなど探しても虚しいことだ。
生への執着が希薄になるということは、あらゆる欲望が消えかかってきたということだ。


ならば趣味をもて、熱中できるものを探せ。
地域活動やボランティア活動をして奉仕せよ、と人は言う。


では、生きがいとは何か。
一口で言えば、なにかのために生きる時、生きている意味があるということだ。
そして、日々生きていることに喜びがもてるということだ。


しかし、歳を取ってくると、一抹の哀しい諦めと、老いの蓄積した疲労が混じり込んで、「・・・のために」という気力が湧かないのが正直な気持ちである。
そして今は、眠剤を飲んで眠りの彼方に堕ちることだけが、唯一の安逸である。
いわゆる、寝逃げという名の現実逃避だ。


八重洲ブックセンターの栞を見ながら、若いころに思い描いていた老後の姿とはかけ離れていることに気づいたのである。


「人間は塵から生まれて塵に還る」
こんな言葉が、旧約聖書にあったな。


ベルガモット