十六夜の厭世的雑録

人生をそんな深刻に考えるな・・・永久に続くものじゃないんだから。

サルビア

トマトが完熟したような、暑い日曜の午後だった。
神戸の県立近代美術館の前で、私はEさんを待っていた。


美術館の庭には、真っ赤なサルビアが咲き乱れていた。
サルビアは緋衣草とも言う。
その緋色の花を見ていると、微かな幻覚さえ覚えた。


やがてやって来たEさんと二人で美術館に入った。
どんな絵を観たのかほとんど記憶にない。


美術館を出て、私はEさんのアパートに行った。
彼は家族とは別にアパートを借り、そこをアトリエにしていた。


部屋に入ると夥しい数のキャンバスが立てかけてあった。
それらは全てモノクロームで描かれた裸婦であった。


絵の具に砂のようなものを混ぜているらしく、表面がザラザラしていた。
あのマチエールは好きになれなかったが、妙に印象に残る絵だった。
今でもサルビアの花を見ていると彼の描いた裸婦を思い出す。


ポートアイランドでポートピアが開催されていた1981年の事である。
あれから阪神淡路大震災があった。
私が宿泊していた旅館の夫婦は無事だったのだろうか。
その宿泊先は兵庫駅の近くにあり、私は三宮まで通っていた。


旅館というより下宿と言った方が似合っていた。
帰って来ると部屋の隅に脱ぎ捨ててあった衣類が綺麗に洗濯され、たたんで枕元に
置いてあった。
それが毎日つづくので何だか申し訳ない気持ちになり、スイカなどぶらさげて帰っ
たこともあった。
震災で街の様子はすっかり変わってしまっただろう。
街の様子は変わっても、あの夫婦は無事でいてほしいと思った。


ちょうど「エレファントマン」という映画が話題を集めていた。
私はその映画を三宮の駅前にあった映画館で観た。
映画の中でエレファントマンが「詩篇二十三篇」を暗唱したシーンが今でも胸を
はなれない。


たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、
私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
あなたのむちとあなたの杖、
それが私の慰めです。      詩篇23-4


あれから37年も経ってしまった。
エレファントマンを演じたジョン・ハートも去年亡くなった。
様々な思い出が、次第にセピア色になっていく。


サルビア