十六夜の厭世的雑録

人生をそんな深刻に考えるな・・・永久に続くものじゃないんだから。

ウド(独活)

身体ばかり大きくて、役に立たない者のことを「ウドの大木」と揶揄することがある。


私も「役に立っているか」と問われれば、自信をもって役に立っているとは言い難い。
それでも、何とか生きている。


そもそも、役に立っているかどうかをを基準に、人間を区分するのはどうなのだろう。
いや、「役に立つ」ということが、かなり曖昧であやふやな物差しだ。


その人の存在そのものが、別の人の心の支えになっている場合はよくある。
大切なものほど、金銭的な数値に置き換えられないようだ。


やわらかなウドを食べ、美味しい晩春の味を楽しんだことは忘れてしまい、大きく伸びたウドを嘲弄するのは人間の身勝手である。
ウドが少し可哀想な気がした。


「ウドの大木」という言葉には、根本的な間違いがある。
なぜなら、ウドは木ではなく草だからだ。
草はいくら大きくなっても木にはならない。


草が木になれないように、人も一生変わることは出来ないのだろうか。
否、アドラーは「人は変われる」と説いている。
う~ん、頭では解るんだけどな・・・難しい問題だ。


ウドの実