十六夜の厭世的雑録

人生をそんな深刻に考えるな・・・永久に続くものじゃないんだから。

リビング・ウイル

日本尊厳死協会の会報が届いた。

私は、脳死臨調の最終答申直後に入会したので、もうすぐ27年になる。


当時3万人だった会員は、今では約11万人に増えた。
これは、自分の死をどう迎えたいか考える人が増えたのと、死をタブー視する空気が薄らいだせいかもしれない。


昔は、アルフォンス・デーケン師が「デス・エデュケーション」を提唱していたが、最近は「デス・カフェ」まである時代になった。


死は個人的で非常にデリケートな問題なので、人それぞれ違うのが当たり前だが、それをフランクに話し合えるのはいいことだと私は思う。


老年社会臨床医学のY医師は、老人がなかなか死なない「長寿地獄」の出現の条件を三つ挙げている。
1.医学の発達
2.栄養の充足
3.寒暖の調節の実現


そして、Y医師は、現代を「人工長命時代」と呼んでいる。


たしかに、死にづらい時代になった。
延命措置により、死期を引き延ばすことはできる。
生命維持措置により、心臓は動かすことはできる。


だが、それが本人の尊厳を守ることになるのだろうか。
死ぬのは怖いけれど、永遠に死ねないとしたら、それはもっと苦しい。


私は、自分の意思表示の手段として、尊厳死協会の会員証をいつも財布に入れている。
しかし、いざというときに、家族があわてふためいてどのような行動をとるかまでは分からないが・・・


死にづらい時代というものは、生きづらい時代でもある。