十六夜の厭世的雑録

人生をそんな深刻に考えるな・・・永久に続くものじゃないんだから。

所により雨

いつも洗濯をしている身にとっては、天気予報は絶えず気になるものである。
いっそ雨なら諦めもつくが、天気予報の中で一番困るのが「所により雨」という言葉だ。


言葉の定義は、「予報地域の半分より狭い範囲のどこかで雨が降ること」なのだそうだ。


予報地域の半分といっても広いし、「どこかで雨が降る」では困惑してしまう。
洗濯物を干したまま出かけられないし、いつも空模様を気にしていなければならない。


洗濯機である程度乾燥して部屋の中に掛けておいてもいいのだが、やっぱりお日さまに当てて外の風で乾かした方が気持ちがいい。


小夜時雨という言葉を遣うには季節的にまだ早いが、夜だけ降ってくれる雨なら一番ありがたい。
でも、それは身勝手というものだよなあ。


え~い、下駄でも飛ばして天気を占ったろか。


サザンクロス

十五夜

今宵は中秋の名月。


昼間は雲が多かったので薄月夜かなと思ったが、見事な月が煌々と輝いていた。
月光浴もいいもんだ。


「こんなよい月を一人で見て寝る」 尾崎放哉



愛についての愚見

「愛は真心、恋は下心」という言葉がある。
これは、「愛」と「恋」の漢字のどこに心の字があるかのメタファーみたいなものだろうが、言い得て妙である。


私は、愛という言葉を聞くと、マキシミリアノ・マリア・コルベを思い出す。
コルベは、ポーランド出身の神父で、日本にもいたことがある。


1941年2月、ゲシュタポに逮捕されたコルベは、アウシュヴィッツに送られる。
同年7月に収容所から脱走者が出て、罰として10人が餓死刑に処せられることになった。


そのとき、10人の中にいたフランツェク・ガイオニチェクが「私には妻子がいる」と泣き叫び出した。
そこにいたコルベは、「私が彼の身代わりになります。私は司祭で妻も子もいませんから」と申し出た。


そこで、ガイオニチェクとコルベは入れ替わり、10人は餓死室に閉じ込められた。
2週間たってもコルベを含む4人は死ななかったため、注射によって殺害される。


「一粒の麦、もし地に落ちて死なずば、ただ一つにあらん。死なば多くの実を結ぶべし」
コルベは、この言葉を地で行った死に方をした。
いや、生き方をした。


このように、愛とは命を懸けた厳しいものなのだ。
愛と好きとは、まったく違う。
勘違いしてはいけない、愛は感情ではなく理性なのだ。


内に秘めたる静かな強さがないと、愛は実践できない。
逆に、弱さは優しさに見え、優しさは愛に見えやすいが、それらはレプリカなので成就することはないであろう。


私には、コルベのように命を投げ出す覚悟は恥ずかしながら無い。
だから、愛などと軽々しく語る資格など本当は無いのである。


コスモス・シーシェル